更級日記にある富士川に流れてきた紙の予言が的中したという伝説を再現しようと16日、富士市内で予言書を流す取り組みが行われた。
市まちの駅ネットワークの鷹岡・大淵ブロック(白垣善行ブロック長)が主催。
富士山の世界文化遺産を確かなものに―と、潤井川龍巖橋下流の河原から約20人が「富士山が世界遺産になりました」と書いた紙を川に流し、登録実現を祈念した。
更級日記は、平安時代中ごろに書かれた回想録で、作者は菅原孝標の次女とされる。
富士川に関する記述では、翌年の国司の名前が書かれた黄色い紙が流れてきた事件が記されている。
黄色い紙には新任国司2人分の名前が赤い字で書かれ、通常は1年に1人が任官されるが、翌年に赴任された国司は三ヶ月で病死したため、もう1人の国司が赴任した。しかも黄色い紙の予言書に書かれた姓名と2人の国司は一致していたという。当時富士川は富士山から流れてくる川だと信じられており、神々しい富士山からお告げとして畏怖された。
こうしたことを踏まえ、同ブロックでは、富士山を源流とする潤井川の龍巖淵に自分の未来像や目標を達成した姿をイメージして「富士山の預言」として川に流し、自分の夢をかなえる推進力にしてほしい―とイベントを企画した。